金曜日の支配者たち
「じゃあな」
「お疲れ様ですー!」
上司は夜の街へと消えて行った。
男はそれを見送った。
上司というのはそういうものなのだ。
居酒屋、キャバクラ、ガールズバー。
三軒をハシゴした挙句、上司は風俗店へ向かって行った。
男は上司のことが嫌いというわけではなく、むしろといった感じで、時に感情的に、時に自嘲気味に、上司の笑いを引き出して機嫌を取るのはまんざらでもない心地がした。
キャバクラでは、どの嬢よりも場を盛り上げたし、ガールズバーでは完全にハズレ、シュレックみてぇな女の家庭料理にまつわる講釈も聞き流した。
だからこそ会計が21000円で、「んじゃ俺、大きい方出すから」と言って1000円を負担させられたのは癪だったが。
なんというか、そのあたりの、上司の隙というか、上司を見下せる余地が微妙に残されているために、大きな苛立ちを抱えることには至らなかった。
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大阪梅田行きはおろか、桂行きの最終電車の時刻はとうに過ぎていた。
男は、ふっと冷静になって、インターネットカフェか、個室ビデオ店にでも転がり込む算段を立てようと、取り敢えず喫煙所へ向かった。
Yシャツの胸ポケットに、逆向きで入ったタバコは、中身を確認すると空箱だった。
自分の耳にも届かないほどに軽く舌打ちをし、コンビニを探すために視線を上げると、見憶えのある女の姿が目に留まった。
同じ会社の後輩ちゃんだ。
身長は155cmくらい、艶やかに伸びた黒髪をヘアゴムで留め、スラっとした右手の中指には翡翠のシルバーリングを着けていた。
普段はテキパキと仕事をこなす彼女の、タバコを挟んだ左手が、ゆっくりと口元へ運ばれる。
その姿はとても色っぽく、新鮮だった。
そんな知らぬ仲ではない人間の、意外な一面を見たことで舞い上がった男は、後輩ちゃんに声をかけていた。
「タバコ、一本もらってもいい?」
「はい、かまいませんよ。」
後輩ちゃんの反応は、男の予想しているものと大きく違っていた。
普段から男は、相手の発言をある程度想定して、予定調和的に会話をするタイプだった。
驚かせようとして、逆に少し面食らったが、表情には出さないようにして、男は会話を続けた。
「驚かないの?」
「はい。ずっと気付いてましたから。ずっと」
そう言うと、後輩ちゃんは自分が吸っているタバコを口元に咥えて、空いた左手で男へタバコの箱を差し出した。
「火、つけましょうか」
「いや、大丈夫、ありがとう。それより」
それより、なんだろう。
男は、後輩ちゃんが、回りくどい言い回しが好きじゃないのだろうなと、なんとなく感覚的に洞察した。
だとすると、尋ねるべきことは一つだ。
「始発まで一緒に、どこかで時間を潰そうか」
「落ち着いて、2人きりで話せる場所がいいです」
夏の夜の、湿気を含んだ生暖かな空気は、性の匂いを感じさせた。
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2人を乗せたタクシーは、上司から離れた場所にあるラブホテルの前で停まった。
割増の運賃を受け取った運転手は、眉ひとつ動かさなかった。
ホテルの受付にて、タッチパネルで選んだ部屋に入った。
扉を閉めるやいなや、男は後輩ちゃんの背中に手を回した。
後輩ちゃんは、それを拒まず、瞼をゆっくりと閉じた。
キスをしながら、男は後輩ちゃんの腰を寄せ、こんなんなってんぞ、チンポこんなんなってんぞ、というふうに宛てがった。
先にシャワーを済ませた男は、ベッドに腰掛けて、最後の決断を迫られていた。
一晩の快楽と人間関係、どちらを取るか。
しかしここまで来てしまっては後戻りもできまい。
シャワーを終え、髪を下ろした状態で、後輩ちゃんは出てきた。
こちらへ歩いてきて、隣にちょこんと座った後輩ちゃんを、男はベッドへと仰向けに押し倒した。
そして顎下に跨り、イラマチオの姿勢を取って、ゆっくりと口の中にチンポを挿れた。
腰を打ち付けるスピードは速くなり、次第に激しくなっていった。
しかし、男は快感を得ながら、同時に、強い違和感を覚えていた。
後輩ちゃんが、苦悶の表情を浮かべないのである。
涙と、鼻水と、涎とで、顔がぐっちゃぐちゃにならないのだ。
男は腰を引き、尋ねた。
尋ねてしまった。
「平気なの」
後輩ちゃんはゆっくりと口を開いた。
「はい、私は、生体アンドロイド」
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「引き継ぎを完了しました」
「再生を終了します」
男の右手の中指に着けられたリングは、まだ鈍色に澱んでいる。