情けは人の
グループでの研究発表があった。
内容が少し特殊というか、音声や動画を用いて発表するのが妥当だと思えるものだった。
グループの構成はというと、男2人(僕を含む)、女2人の4人グループだった。
グループで議論した結果、ごちゃごちゃするのも避けたかったので、発表は内容を4分割して分担することに決まった。
発表が難しそうなところ、後半部分は男2人が請け負った。
なぜなら、女は忙しそうにしたから。
女は忙しそうにしたがるから。
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発表の前日も過ぎた、半日前に差し迫った頃。
僕は自分の担当している範囲を既に終わらせていた。風呂に入って寝ようとしていた。
女から連絡が来たのである。
「まだ起きてた?」
「発表まにあわない」
正直なところ、無視して寝てしまおうかという気持ちもあった。
しかし、自分の発表の足を引っ張られるのも嫌だった。
僕は、返信してしまった。
「今どういう状況で、何が終わってないの?」
女からの返信はこうだった。
「この時間までバイトしてて今かえってきた」
「ぜんぜんおわってない」
お前が置かれている状況は聞いてない。
お前が担当している分の発表の状況を聞いてるんだ。
「とりあえずデータをまとめて、音声を出しとけば、形にはなるんじゃない?」
「ごめん、音声が見つからなくて…。」
「送ってほしい、拡張子はなんでもいいから!」
拡張子はなんでもいいという、その的外れな気遣いはなんなんだ。音声ファイルを、mp3以外で送ろうと思ったことはない。
それで譲歩しているつもりなのか。それでこっちと交渉できるという算段があったのか。
あと、まだ起きてた?じゃないからな。夜分遅くに失礼しろ。
やり取りに嫌気がさしながらも、幸い、必要な音声データは手元にあり、また女2人でどちらかといえば顔が良い方の女だったこともあったかもしれない、僕はすぐに音声ファイルを送信した。
「情けは人の為ならず.mp3」
「ありがと!!!」
「(犬の絵文字)」
「ファイル名なに?笑 わろたww」
こいつ無敵かよ。
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発表は及第点の評価で済ませ、4人で打ち上げに行く運びとなった。
週末でも予約せずに入れるような、しょうもないお好み焼き居酒屋に入った。
僕が発表を手伝った女は、特に手伝ってもらった話をする気もないようだった。それに対して僕も、別に良い気も悪い気もしなかった。
ただただ発表が間に合わなくなった原因の、アルバイトがいかに辛いかという話を長々としていた。
「週3で入ってて、夜遅くまであって、シフト通りに切り上げられなくて、残業代も出なくて、人間関係もややこしくて、とにかくめちゃくちゃ大変で…。でも、時給が良いから頑張る…。」
それをもう1人の女、どちらかといえばブスな方の女が熱心に聞いてあげていた。
偉いな、と思った。
もう1人の男は、時々あいづちを打ちながら、ずっとスマホをいじっていた。
僕は普段飲まないようなハイボールをたくさん飲んだ。
結局その女のバイトの内容については明かされなかった。
というよりは、なんとなく、明かさないで、というような空気感だった。
女の悩み相談は助言や改善を求めている訳ではない。ただ共感して欲しいだけなのだ。
そんな内容の記事をNAVERまとめで読んだ記憶があったので、特に深入りはしなかった。
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会計を割り勘で済ませ、もう1人の男と、どちらかといえばブスな方の女は、乗る電車の方向が逆だったこともあり、駅で別れた。
向かいのホームから出発する電車を見送った僕と女は、特に何を話す訳でもなく突っ立っていた。
すると、少し酔いも回ったのか、顔を紅潮させた様子の女が、こちらに腕を絡めてきたのである。
女は、僕の左肘に胸を押し当てながら、少しだけ背伸びをして耳元で囁いた。
「手伝ってもらったお礼も兼ねて、二軒目、行かない?」
僕は瞬時に、やられた、と思った。
誘われた以上、返答する義務が発生してしまった。
向こうにはお礼という大義名分がある。それを断るには、自然な理由で、なおかつ、この女の自尊心を傷つけることのないような理由が必要になった。
僕にそれだけの良識があったのだろうか、上手い返答が思いつかず、また段々と断る理由もないような気もしてきた。
そして僕は、苦笑いしながら親指を立て、しぶしぶ快諾したのである。
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駅員に頼んで入ってきた改札を戻り、二軒目はその女の行きつけのバーに行った。
カウンターしかないこじんまりとした店内に、客は老夫婦が一組のみだった。
僕と女はその老夫婦のちょうど対角線の席に通された。
着席してすぐに、女は「いつもので!」とオーダーした。
女の思惑通りであれば、僕はまたもや、やられた、と踊らされるところだった。しかし、こういうこともあろうかと、僕はバーで頼む酒を一種類だけ暗記している。
「注文、ゆっくりでいいよ??」
「いや。メーカーズマークを、ロックで」
ほんの少しだけ誇らしげな気持ちになり、しかし表情には出さないように気を引き締めた。既に戦いは始まっているのだから。
目の前にグラスが置かれた。乾杯を済ませて、好きでもなければ思い入れもないバーボンを、ちびりちびりと飲む。
鼻の骨までアルコールの匂いが堪える。ああ、無事に帰ったら、今度は違う横文字の酒を暗記しよう…。
僕がチェイサーを半分ほど飲んだ頃、女がゆっくりと口を開いた。
「あたし、彼氏がいるんだけどさ。…12コ上の彼氏。」
これは想定内のカミングアウトだ。しかし12歳差か。ちょうど一回り上で、干支も同じじゃないか。
干支が同じということが何故だか面白く感じて、つい笑い声が漏れてしまった。
「ふふっ」
「何笑ってんの?」
「いや、彼氏と干支が同じなのかと思うと」
「干支は違う。彼、早生まれだから。」
干支は違った。
「彼は結構有名なミュージシャンっていうの?今全国ツアー中で、それで忙しくてなかなか連絡も無くて…。」
「たまにSNSの更新があると、『ファンの子全員愛してるぜ!』みたいな感じで。それで不安で寂しくて…。」
ああ、なるほど。これは想定外だった。
しかし考えてみれば当たり前じゃないか。あちこちに伏線は散りばめられていたじゃないか。
何故気付けなかったのかという反省と、見事なまでの伏線回収の余韻に浸っていると、どうにも言ってしまいたくなってきた。
言ってはいけないと冷静に理解しながら、だからこそ、言いたいという気持ちは昂ぶってゆく。
言いたい。言ってしまいたい。そう思ったが最期だったのかもしれない。
想いは魂となり、力ある言葉となり、僕の口から出ていった。
「模範的なセフレじゃねぇか」
これはしまったなと思ったが、同時に、清々しい気分でもあった。
女の反応はおおむね予想と違わぬものだった。
「最低!!」
女はバン!と机を叩き、バッグを持ってそのまま店から出て行った。
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ドアの開閉に伴う、カランコロンという音と、シックな洋楽だけが店内に残った。
老夫婦は少し驚いている様子だったが、すぐにニヤッと笑ってみせた。若いモンはええのう、と言いたげなふうに。
マスターは困ったような顔で、しかしすぐに自分の職務を思い出したのか、拭きかけのグラスを置いてこちらへ歩いてきた。
「すみません。お代はいくらでしょうか」
僕も店を後にした。
情けは人の為なるべからず。