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私に一件のメールが届いた。
平生より、私は、大学からのメールとDMMからのメール、それしかまともに利用していなかった。
私のメールBOXへと送り込まれてきた、その赤紙とも言えるメールは、私の人生を大きく変えることとなった。
2013年5月9日
私に一件のメールが届いた。
差出人はFacebookだった。
これがすべての始まりだった。
内容を見るに、私の知人が私名義のアカウントの投稿に、いいね!をつけたようであった。
しかし私にはFacebookを登録した覚えが全くなかったのである。
私はFacebookは元より、実名性を伴うSNSをいたく嫌っている。
自分という個を、良く見せたい、良く思われたい、その一心で生活を送り、いいね!に奔走する様は滑稽だと思っていた。
また、そう思わずには、自分の醜さ、妬みや僻みに潰されてしまう程でもあった。
自己の防衛方法としてFacebookを遠ざけ、こき下ろすことしか知らなかったのである。
すぐさまFacebookから届いたメールにあるリンクを開き、投稿を確認した。
私が、大学の知人達とバーベキューをした旨の投稿をしていた。
いいね!は8件ほどついていただろうか。
もちろんFacebookに登録していない為、そのような投稿をした覚えはなかったし、バーベキューに参加した記憶どころか、そのような会合があったことさえ知らなかった。
投稿にはその日撮影したと思しき写真も添付されており、何度確認してもそこには屈託無い笑顔とピースサインで映る私が居るのであった。
未だ嘗て感じたことのない、強烈な違和感と不信感に襲われ、血は熱く、鼓動が速くなる。
焦る一方で、この私の周囲に映るのは大学の知人達だから、以前から計画立てて、この連休に出掛けたのだろうか、などと冷静な分析をする。
分析を進める次第に、この写真に映るうちの誰かが悪ふざけをして、名前を私のものと騙っているように思えた。
また、そう思わずにはいられなかった。
なんとか合理的なもので、この目の前に起きた現象を理解したかったのである。
このような参加していない場所に、私は名前を使われて、嗤われているのだと思いたかった。
そう決着をつけてしまうことの方が、私にとってありがたかったのである。
だが、バーベキュー写真に映るその私は、普段より髪型も服装もマシな身嗜みをしたその私は、笑顔で以ってこの私を苦しめるのであった。
その日は、誰かのイタズラであろうと思い込むことにした。
画像の合成か加工であろうかとも考えた。
はっきり誰とも思わず、しかし誰かのせいとしてこの事件を片付けたかった。
このような手の込んだことを、私に対して仕掛けてくる意図も心当たりも全く分からず、ただただ不気味、不信感と、何と無く嫌な気に苛まれ、思考は堂々巡りであった。
そのバーベキュー写真の中の一人に連絡をして聴けば良かったのだが、私は臆病だった。
私に非があると決定付けたくなかったのである。
今思えば、この時よく思い直すべきだった。