「ベンピン」の夢を見た

 

昨夜から今朝にかけ、「ベンピン」の夢を見たのでここに記して置く。

 

生来、臆病な少年である自分にとって、夢は異郷である。

 

自分の夢の中では、よく知っている場所に、よく知っている人が登場する。

だが、そんな夢の中に "自分だけが知っている事柄" が必ず登場して、そしてそれは誰にも理解されない、という構図が殆どである。

 

"自分だけが知っている事柄" – たとえば、動物のネコのことを、「ネコ」と呼ぶのだ – と云うようなものである。

簡単なことのようにも見える。然し、顔も見知った面々が、揃いも揃って「ネコ」というコトバを知らないとなると、どうも怪しい。

 

別の夢では、こんなことがあった。

恐らくは江戸時代であろうか。この城下町では、もう後ひと月ふた月もせぬ内に、米の独占を巡って、打毀しが起こる、そう自分だけが知っていた。

自分の訴えを聴いた、奉行を務める三人の知己は、直を直と認めぬ。結果的に自分は敗走、事の顛末を見届けず、地方へと疎開する。そういう内容の夢である。

 

夢の中の世界でも、自分は夢の世界のあらすじを捻じ曲げることはできない。善処はするが、幾度となく "やり直しても" 無力感と徒労感に襲われるのみである。

必死に説明しても、誰にも理解されないのだ。まるで並行する可能性世界線で、自分だけが、良く良く知っていて、それでいて、似て非なる世界に突き飛ばされてしまったかのような錯覚の眩暈を感じながら、いつも夢から醒めるのである。

(分からない、此の様な夢の印象ばかりが深く、ほかの夢をさっぱりと忘れてしまっているだけかも知れぬ)

 

 

夢の中の世界では、孤独で臆病な世界を巡る自分であるが、その中で取分け自分が好む夢がある。それが「ベンピン」の夢である。

 

「ベンピン」とは、存在しない言葉である。架空の言葉。漢字で書くと「鞭併」と書くらしい。

 

夢の中の自分が、もっともらしく使う「ベンピン」という言葉。

べんぴつ(鞭筆)(この言葉も多分ない)という、とても高級な筆と、中国語の発音のピンイン(併音)の意から成る言葉である。

言葉、文章の見た目と発音が良い時に用いられる。

「鞭併がいいね」「鞭併だけはいいね」と云うように用いるのだ。

 

自分はこの「ベンピン」の夢をしばしば見るのだが、夢の世界の中で、自分だけが、当然、本当にさも当然のように「ベンピン」という言葉を使う。

或る人が「便秘のこと。」と言う。

その都度、自分は毎回躍起になってこの説明をするものなので、成り立ちから意味まで、覚えてしまった。

 

 

何故、わざわざ存在しない言葉を生み出してまで、自分に異郷が如き夢を見せるのか。夢というものは熟々理解し難い。

夢は深層心理の反映となると、では自分に潜む此の異質な感覚は、どのように捉え直せば良いのだろう。

それとも、此方の世界が、知らぬ間に異相の姿へと変容しているのだろうか。夢から覚醒して辿り着いたこの世界は、元の世界の並行世界というべきものか。

だとすれば、愈々以って面白い、「ベンピン」のあった世界で就寝し、夢を見て、覚醒してすると、自分と「ベンピン」だけが今の世界へと送られてきたのだ。

 

何にせよ、「ベンピン」という言葉と夢を、私はいたく気に入っているのである。