承認欲求・ハザード

 

ああ、怖いね。恐ろしいよ。

どうして人はリプライを送りたくなってしまうのだろう。

 

どうして、人は、リプライを送りつけたくなって、しまうのだろう。

 

 

他所から聞き齧ってきた、

仮初めで上塗りの人生経験と、

googleで検索すれば、

最上部に表示される上澄みの知識と、

 

何も体得、習熟、洗練もなされていない装備なのに。

 

どうして人はリプライを送りたくなるのだろう。

 

 

如何にして、人様の、表現の場へと、土足で踏み込んでいけるのだろう。

 

 

もしかしたら、リプライを送りたいという、その気持ち、気概も、含めて全部、飲み込まれてしまっているのかもしれないね。

 

 

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これは自戒の意味合いもありますが、SNSに飲み込まれるな。

 

他者の人生が可視化された現代では、間接的な共感能力は向上し、一方において、直接的な共感能力は低下した。

 

ある種のニュー・タイプが生み出され続けている時代の流れに、インターネットから離れて、「留まった」ことのある者だけが、承認欲求・傍若無人の是非を問うている。

もし明日の朝、アクシズが落ちる、全てのSNS、掲示板ツールが機能を停止したとして、という思考に至る。

 

現代人は、もっと恋をしなさい。

ノンストップで人生を走り抜きなさい。

刹那的な感情に陶酔しなさい。

 

人間、智慧とは自己が見出すべきものであり、パッケージングされた叡智に振り回されるべきでない。

 

 

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書は、書に道を求めなさいと説いている。

 

ツイの茶室、三畳間

 

 

本日は、お足元の悪い中、御足労頂きまして、ありがとうございます・・・

 

 

どうぞ、お上がりください。

 

 

よろしくお願い致します・・・

 

 

さて、ご存知の通り、ツイートとは、上限140に於いて、言葉、記号、絵文字等の連なりでありますが、この140に如何程の意味を読ませるか、これが面白きことにございます。

 

本日は、皆様と共に、ツイートを利き比べたく存じます。

 

テーマは、「女のスマホのホーム画面が見たい」

 

それでは、良きツイの旅を・・・

 

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「これは知り合いの精神科のお医者さんが言っていた話なんですが、女のスマホのホーム画面は、男に落ち着きを与える効果があって、女も流行のアプリであったり、可愛いホーム画面であったりを見せたい、だからwinwinなんですって」(108字)

 

 

一昔前に流行しましたインスタント・ツイートを参考に書き起こさせていただきました。

ツイの一切の責任を他者に委ねつつ、ある程度の信用と共感を含ませる、ファボが伸びやすい型にございます。

書き手と読み手の間に在る、程好い距離感は、親しくもなく、かと言って赤の他人でもない、まさにSNSにおける人間関係の一つを示しておりましょうぞ。

 

 

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「女のスマホのホーム画面が見たい!!日常生活の必携品、朝起きても、着替えても、ネイルしてる時も、トイレの時も、寝る時も、肌身離さず持参している、そのスマホのホーム画面!それを見るということは、その女と半同棲しているも同義であり、俺は、女のスマホのホーム画面が見たい!!!」(134字)

 

 

とても激しく、勢いに任せた、旬。

見たい!という熱量が注がれたツイートにございます。

書き手と読み手のボルテージの乖離、これが懸念されるかと存じます。

しかし、「朝起きて〜寝る時」の読点の間に、時間的な奥行きが見受けられたり、エクスクラメーションの個数に推移が見受けられたりと、細やかな配慮も施された、誠に繊細なツイートでしょうぞ。

 

 

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「‪我慢出来ない、承認欲求の前では自我も理性も働くのをやめた、女の承認欲求のインフレは次の段階に来ていて、まだ自撮りやってんの?今はスマホのホーム画面の時代だよね〜ッ、の時代が来ている、煩雑なほど投稿された女のスマホのホーム画面を、ご立派!と叫びながらいいねする時代が、ね‬」(134字)

 

 

女を腐す旨のツイートにございます。

昨今の女につきまとう承認欲求ツイート、明確に下等な存在をブチのめさんばかりで、大変に愉悦。

ご立派!という掛け声もユーモア・アクセント。

共通敵を叩くことでもたらされる結束感、俺は分かっている側だという同調から、主に男性からいいねを稼ぎやすい型と言うべきでしょう。

 

 

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「これは本当に僕の悪い所ではあるんですが、女のバッキバキのスマホの画面や、女のゴッチャゴチャのスマホのホーム画面を見ると、ガッビガビのギンッギンに勃起してしまう。」(80字)

 

キャッチー、且つ、擬音語が楽しいツイートにございます。

自らを貶すことで、性癖を赤裸々に述べるという行為自体を軽く作用させております。

また、先の女を腐すツイートと比較すると、男である自身を腐すツイートにて、対偶に在ると言えるでしょう。

女叩きの流れから逸脱し、アカウントの、その奥に居る個人の、男女倫理のバランス感覚までをも見せ隠しするツイートでしょうぞ。

 

 

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「‪フォトジェニックな背景画像、整然と並べられたアプリケーション、LINEの通知件数。女のホーム画面に張り巡らされた情報、これを全て承認されることは、女に幸福感を与え得る。もう、任天堂どうぶつの森が如く、ハッピーホーム画面アカデミーでも立ち上げて、得点化してやろうか、それでは優劣が‬」(140字)

 

字余らしツイートにございます。

140字という制限を超え、141字以後の広がりを読み手に委ねる型とお見受け致します。

複数のツイートに分割する、ブログにて清書する、といった完全版を出すなど以ての外、野暮でございます。

書き手から読み手への信頼感も感ぜられる、粋を重視した革新的な手法であることは間違いないでしょう。

 

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以上5点、いかがでしたでしょうか。

 

どれも此の世に一つの、珠玉のツイートにございました。

 

ここまでお付き合い頂きました皆様方におかれましては、勿論のこと、5ツイートの紹介順、その辺りまで推察なさったことと思います。

 

それでは、本日はこの辺りにて。

 

 

 

けっこうなお点前でした・・・

 

 

ノスタルジー

 

かつて貧乳至上主義者が「ロリ巨乳は邪道」という格言を遺したが、それは真理であると同時に可能性の閉塞を意味していた。
…人が持つ新たな進化の可能性、それは妄想という宇宙にこそ見出ださるべきであった。
萌え要素とは宇宙である。
数多無数の星々が輝く無限の宇宙のごとく、永遠の可能性に満ち溢れている。
貧乳と巨乳、相反する二極の神の奇跡、そのどちらに崇高さを見出だし拝め奉るかは、古来より多くの賢者たちによって議論され研究されてきた。
そしてそれは時に世に戦乱と破壊をもたらし、時に平穏と再生をもたらして、悠久の歴史を人類と共に歩んできたのだ。
21世紀になった現在も、その問題は今だ解決していない。
しかしそれでもひとつだけ確かなことは、おっぱいと、おっぱいにエロスと萌えとロマンを感じる人の心の光こそが、人類が未来に誇るべきかけがえのない偉大なる文化であるという事実に他ならない。

 

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これ、僕が高1の時に友人に送りつけたメールなんですが、どうですか?

 

その友人は、ずっと携帯電話のメールをGmailに転送し続け、そこからバックアップを僕に送りつけ返して来たんですが、どうですか?

 

「仕上がってんなぁ」

 

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このブログを更新するにあたって、先んじて、これは、僕が高1の時に友人に送ったメールなんですが、と前置きすることも出来たんです。

 

どうですか?

 

「仕上がってんなぁ」

記憶喪失前の僕から記憶喪失後の僕へ

拝啓

 

お元気ですか?

こんにちは。

僕は、記憶喪失前の君です。

具合はどう?

痛くない?

どこまで忘れちゃった?

自分の名前は?

親は?

友人は?

 

もしかしたら、文字も読めないかもしれない。

漢字が読めないかもしれない。

言葉と意味が対応していないかもしれない。

その時は、近くにいる人に教えてもらってね。

勉強して、読めるようになってから読んでみてもいいね。

 

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世間では、「あの映画、もう一度記憶を消して観たいね〜」なんて言うけれど、君にとっては、たまったものじゃあないね。

 

これは君が記憶を失って、辛い、苦しい、という気分への、せめてもの慰みという意味ではなくて、君が今まさに記憶喪失前の僕からのメッセージを読んでいるという体験こそが、どんな名作映画にも代え難いスペクタクルだからです。

 

きっと今後、どんな景色を見ても、どんな音楽を聴いても、歩み、考え、食べて飲んで、人間関係の中へ飛び込んでいっても、この体験に比べれば無味乾燥で、陳腐なものだと感じることでしょう。

 

時間を過ごしていく中で、強烈な死への想いと、過去の記憶を取り戻したいと願うことでしょう。(周囲の人間もそうするだろうね)

 

でも、世界だけは変わらず、記憶だけが失われた世界で、生きていってください。

 

そして、よい返信を期待していますよ。

ご自愛ください。

 

敬具

 

非非モテ男(ひもておにあらず)

 

こんにちは、ギフトです。

突然ですが、世界には2種類の男がいます。

 

「モテ男」と「非モテ男」です。

 

モテ男とは、男としての価値を高め、自分に自信を持っており、常に女性が周りにいるような男のことです。

 

逆に、非モテ男とは、自分に自信がなく、また努力もしないため、必然的に女性と距離が開いてしまうような男のことです。

 

しかしその両方にも例外があります。

 

例えば、モテ男でも、様々な女性との関係を持つために、所謂チャラい、誠実さに欠ける、といった弱点があります。

 

また、逆に言えば、非モテ男でも、顔はいいのに話すとダメとか、話は面白いけど容姿に清潔感がないとか、そういった惜しい部分もあります。

 

このような「モテ男」「非モテ男」の概念が、女性社会にも普及してきて、こうした不満点を利用する形でモテようとする、「非非モテ男」。

 

非モテ男」の土俵に降りてきて、「非モテ男」の残念な部分を喰らう、それが「非非モテ男」です。

 

「モテ男」の"逆"は「非モテ男」ですが、

非モテ男」の"裏"は「非非モテ男」なのです。

 

これは、かつて私が、そんな「非非モテ男」だった頃のお話です。

 

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や、こんなくっせぇくっせぇブログの書き出しだと、

「あれ?こいつ有料のブロマガでも始めんのかな?購読者数だいたい1500人くらいのよくあるメルマガのやつじゃん、購読者の名前を今月のネズミ講の売り上げランキング順に並べるやつじゃん、アレ、やんのかな?」

と思われるし、そうは思われたくないしね。

 

俺はモテ男でもないし、かといっても非モテ男でもない、中肉中背の、顔も、平々凡々。

よくやるやつ、人生で、えーっとぉ芸能人の誰某に似てる〜、なんて言われたことはマジで一度きりもない。

唯一言われたことがあるのが、「カピバラに似てるね」だって。なんだそれ。ピンと来ねえわ。

 

だから、本当に一般的なごくごく普通、いや、ここで言う一般的、っつうのもさ、Twitterだと、ツイートから伝わるアカウント像とかフォロワー数、発言力とか、2ちゃんねる行っても、○○板なのかによって、この世間一般的なごく普通の成人男性像っていうのは得てして変動するモンなんだけどさ。言わせてよ。分かってるって。

ズバッと数字を言ったら良いんでしょ?年齢ン歳、身長ンセンチ、体重ンキロ、顔は松竹梅で梅寄りの竹ですって。過去にお付き合いした女性は3人ですって。中高大で1人ずつお付き合いましたって。

合コンじゃねえんだわ。ここ、ブログなんだわ。好きに書かせてくれや、なあ。おい。好きに書かせてくれ。

 

全てに於いて中途半端な俺は、明るいグループにも暗いグループにもちょっとずつ顔を出して、均衡を保つことだけをしてた。

だから今までの人生でめちゃめちゃモテたこともないし、まぁ全くモテなかったこともないんだけど、俺は何故か地味な女に人気だった。

 

や、ここ、勢いで、何故かって書いてしまったケド、

「なんでだろ…求心力?人間観察?トホホ…僕ちん変な女に好かれちゃって困ったのら…。」

ってとぼけるつもりはなくて、まぁ俺は完全に地味な女に照準を合わせて狙い撃ってた。マジ、メンゴ。

人生の割と序盤の方から、楽してモテてぇな〜って思ってた。

 

地味目な方の男女グループに入って行けば、相対的に話せるヤツという称号を得るであろうことも分かってたし、派手目な方の男女グループに入って行けば、ユーモアのあるヤツのポジションをほしいままに出来ることも知ってた。

どちらかに属している時は、もう一方の勢力の話題を振ることで暮らしてた。モテ男グループってこういうとこちょっと反社会的でキツいよな〜とか、非モテ男グループって臭えよな、とか。

別に対立していたワケじゃないから、死の商人とは違うけれど。それで今まで痛い目を見たことがないので、ここで懺悔させてください。ゴメンナサイ。…ん。これでバランス取れた?

 

そんな俺にとって、1つ土俵を落とした地味グループの女を籠絡することは容易かったし、楽しかった。

 

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普段からアニメや漫画にあまり興味がなかったが、女の趣味に合わせて事前準備をめちゃめちゃした。

家庭教師ヒットマンREBORN!とか、テニスの王子様とか、ヒカルの碁とか。当時に腐女子という言葉はなかったけれど、夢小説という形で二次創作の概念自体はもたらされていたように思う。

 

もちろんこれらは知識として沢山読み込んだが、次の日に"あの女"へ話すことを前提としていたので、定期テスト対策のようなもの、先生がどの範囲からどのような問題を出題するかを予測して勉強する、これに似たようなものだったと思う。

 

当日は、漫画の貸し借りから会話を始め、適度に女の話題の引き出しを開けたり閉めたりするだけ。俺がコントロールしてた。去り際に、カラオケにアニソン歌いに行く約束か、映画館に劇場版観に行く約束でも取り付ける。

休日に会ったら私服でもちょろっと褒めて、アニメイトでも寄って、映画館に着いて、ポップコーン奢って、ラストの方のシーンで手でも繋いで来たらゲームセットだわ。地味女、マジでしょうもな。脳味噌ゼロ式ドロップかて。

 

で、その地味女から、後日、交際を申し込まれた。丁重にお断りした。俺は楽してモテたかっただけだから。特定の彼女ができてしまえば、そのグループでの居心地が悪くなると思ったから。

 

それからである。地味女が、メンヘラストーカー女(※リスカ済!)へと変貌を遂げたのは………

 

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というのは冗談で、まぁこの女とは普通に付き合って別れたんだけど、この話には一切不幸な人間は登場しなかったのだけど。

強いて言うなら、そんな俺さんが一番不幸だわ。。。みてぇなクソフェミ女じみたことも言わないし。この時代は完全に愉悦の極みだった。

 

この話に既視感が大なり小なりあるのは、やはりオタサーの姫という概念が普及した為かなと思います。

人のキャラクターの明暗と、男女比と、やはり偏りのあるグループ内で希少性を発揮するというのは1つのモテ原理でしょう。

 

オタサーの姫は、モテました。明るいグループの女とは異なり、オタクにとって話せるヤツだったのです。1つ土俵を落として、持ち前の察しの良さで、楽してモテようとしたのです。

そんなオタサーの姫も、オタサーの姫という言葉として、オタサーの姫という意味を表現するアイコンとして定着しました。

そしてオタサーの姫という1つの言葉が定着した今、オタサーの姫のコスプレをするコスプレイヤーなどが生まれつつあります。オタサーの姫が持っていた腹黒さや、実はあんまり可愛くないなどの不満点を理解し、利用する形でモテようとする女、アンチオタサーの姫がモテる時代が来たのです。

 

流行したモテは、さらに次のモテへと連鎖する。この時代の流れは変わらないのでしょうね。

 

それでは。

 

非無非モテ男(ひもておなきにしもあらず)

 

 

 

 

 

 

 

 

時代は、流れていく。ずーっと。

 

 

 

非想非非想天(ひそうひひそうてん)

 

 

ポジティブ・イラマチオ

 

イケイケの男女グループ、5人組が、歩道を闊歩してゆく。

 

「あたし、人のブラジャー服の上から外すの上手いんだよね〜」

 

「え、ちょっとやめてよ〜(笑)」

 

「俺も上手いで!(笑)外すもつけるも自由自在(笑)」

 

「え、じゃあちょっとやってみる?(笑)」

 

「や、ここではマジでヤバいから(笑)」

 

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(笑)を読んで、読み手はどう捉えるだろう。

 

(笑)という記号は、単に笑みを浮かべるという意味合いに留まらず、ヘラヘラしている様子が思い浮かばれると思う、(笑)は、馬鹿同士の会話の薄ぺらさを象徴するアイコンとして確立された。

 

ウェイの人種が常用している点から始まった(笑)という記号の意味は、もはや使い手から独立して、一人歩きをはじめた。

 

(笑)という無二の表現ツールとして独立した瞬間であった。

 

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さて、私の同級生が中学教諭になり、教え子の中学一年生の女子生徒と車でドライブデートをし、車内でキスをし、懲戒免職一発アウトになったことからも分かるように、しばしば、女の若さはステータスになりがちである。

 

しかし、なんの経験もないペラッペラの女をいくら抱いても、一切の意味が無いのである。

 

すぐヤレる女を何人かき集めてみても、なんの意味もない。

 

私は、理解した。

 

30歳を超えて、豊富な知識、経験など含蓄のある女に、イラマチオをしてこそ、であると。

 

私は、理解している。

 

40歳を目前にしたババアに、無許可で。

 

私は、全てを理解しているのだ。

 

日常化したセックスへの飽きから来るイラマチオではなく、最初からのイラマチオを、白髪染めした後ろ髪をガッチリと捕まえ、バッキバキに怒張したペニス(笑)をキメてこそ、価値があるのだということを、ね。

 

 

僕の父は携帯電話を持たない

 

生まれてこのかた持ったことがない、というわけではないらしい。

20年ほど前、ちょうど携帯電話が普及し始めた頃に、会社から支給された携帯電話を持ったことがあるみたい。

 

その時に、休憩時間も、帰宅してからも、会社から、または取引先から、いつ鳴るとも分からない、それがトラウマになっているらしい。

 

家の固定電話もあるし、PCでメールもするから、必要最低限の連絡手段はある。

それでもLINEじゃなくメールや電話で連絡してきてくれるやつは、わざわざ申し訳ないなあと思う、と言っていた。

 

そんな父のことを私は羨んでいるのだ。

 

なんとなくみんな持ってるから、みんなやってるから、スマホをポチポチいじって、馴れ合いの果ての、更にその向こう側にスタンプを送り合い、SNSの承認地獄に飼い慣らされて、いいねはインフレ、社会となんとなく接続されているような気だけ得て、生かされているのだ。

 

携帯電話など本当は持ちたくない。持つ意味がない。

早く田舎で自給自足の生活を送りたい。

電波のまったく届かない田舎で、大型犬を飼って、散歩を日課として、偶に小説を書き、探偵の真似事をし、余命いくばくかになって、コールド・スリープ・カプセルに入り、眠りにつきたい。

1000年後とは言わず、100年後くらいの世界を、何か大きく超自然SF的革命が起こっていることを予期しつつ、それでいてやっぱり大きな変化はない世界の景色を、この眼にぼんやりと映したまま「やっぱりね」と平静を装いつつ、肺とみぞおちの間に冷たい風が入り込んだような、焦りと高揚と消沈の交ざった嘆息を漏らして、永遠の眠りにつきたい。

 

 

それか、仏門に入るか。